米国での事業成功の実例(米国で事業を開始してから3年〜6年)

米国での販売を拡張、調査拠点、仕入れ、提携、共同研究、技術発掘等々をされる為に様々な企業が米国に拠点を立ち上げられています。短冊の願いが叶ったごとく成功した事業、それとは程遠い事業、祈願している企業、様々な事業があります。
写真の七夕の笹にあるように、弊社クライアントの米国での事業実例をご紹介させていただきます。

半導体業界向け製品の販売会社〜6年

日本で製造、米国にて輸入販売。約6年前に販売拡張のために米国拠点を立ち上げられました。
当初2年程は製品が殆ど売れずに悩んでいましたが、全米で業界関連の展示会に出店し続けることで3年目に差し掛かるあたりから、徐々にお問い合わせが入るようになりました。
現地では“日本の製品”、“日本の技術”ということ。同じ人間が毎年同じ催事で3年以上立ち続ける事。変わらない姿勢で継続する事など、3年目以降からは大手からの引き合いが安定して入るようになり、今では一人拠点で年商$1M (1.2億円)を超えるまでに成長。
日本本社へは、年間6千万円以上の発注をかけていることから本社の売り上げも必然的に継続して増え続けています。今では米国大手半導体装置メーカーの重要な供給ベンダーとなり地位を確立されていらっしゃいます。

日系支社から独立永住・起業〜5年

駐在11年目を越えようとした頃(当時46歳)でほぼ自分の日本帰国後の将来が見えてきた方です。
永住権も保有せず、ご自身で就労ビザを取得し起業。ご自身で開発・営業販売、展示会出展を繰り返し一時は体を壊し、日本で入院。日本企業にいた頃の人脈で米国の大手企業を幾つか歩き渡った米国人と再会。これが運気を変える事となったのです。研究情報を共有するスタッフで、様々な日系中小企業を仲介し、その総合的な組み合わせ/プロジェクトが政府研究機関との共同開発につながります。データ解析/クラウド系のプロジェクトがここ数年安定した契約につながり、その結果とも言えましょう、永住権もようやく取得。家族は永住の決意をされ米国に向き合い姿勢も変わったとの事。
<ご本人のコメント>
『日本にいると(日本の企業で働いていると)自分の事、自分の責任、給料の事しか考えない傾向があります。しかし、米国企業と全自分の責任で仕事/人間関係を継続すると見えてくる米国流の成功があることに気づきました。』

開発・研究所の立ち上げ〜4年

日本の自動車メーカーサプライヤー様。日本に於いて自社での開発には限度があり、米国拠点を立ち上げる。
自動運転、配車技術、衛星技術、電池、人口知能研究、鏡の研究、運転動画処理研究等々の投資先を模索、共同研究、提携を目視されて4年。自動車メーカーの生き残りをかけ世界でのメーカー系列が固まりはじめている段階で、本年ようやく大掛かりな連合会社に出資。拠点を吸収させた。

飲食店〜3年

2017年12月に開業したハワイ・ワイキキでの14店舗。
ラーメン、天ぷら、寿司、串焼き、カレー、抹茶カフェ、おにぎり屋さん等が出店するワイキキ横丁。
www.waikiki-yokocho.com
当初はラーメン屋他、数店舗のみが注目され、並ぶ程度の人混みで開業はしたものの、その他は赤字続き。
知名度も低く、平日は閑散として苦しい日々が続きました。催事への出店、インスタを始めSNSへの積極的な掲示、メディアへのアピールをコツコツと続け、2018年末からは、ほぼ全店舗が黒字化に成功。今では各店舗賑わっています。しかしその間、残念ながら2店舗は閉店し入れ替わりがありましたが、味・接客等々真摯に学び、改善を繰り返すことで、真の成功が見えてきた飲食店14点です。ビザ取得での苦労や事件事故も等の苦難を乗り越え、やっと見えてきた黒字事業です。

日系事業の米国での成功の秘訣は 『コツコツと』が鍵のようです。3年、5年辛抱強く、正しい経営戦略であり続ければ必ず希望は報われます。